尼崎城

ご利用案内

天守入城料 一般・大学生 500円
小・中・高校生 250円
未就学児 無料
所在地 〒660-0826 兵庫県尼崎市北城内27
営業時間 09:00〜17:00(ただし、最終入城時間は16:30)
休日
  • ・月曜日 (ただし、その日が祝日に当たるときは、その日後において最も近い休日でない日)
  • ・年末年始(12月29日から1月2日)
お問い合わせ TEL  06-6480-5646 FAX  06-6480-5746
アクセス
  • ・阪神尼崎駅から、徒歩5分
  • ・JR尼崎駅南バス乗り場から、阪神バス(23番)阪神尼崎行き乗車、「阪神尼崎」下車、徒歩5分
  • ・阪急塚口駅南バス乗り場から、阪急バス(55・57番)または阪神バス(13番)阪神尼崎行き乗車、「阪神尼崎」下車、徒歩5分

尼崎城址公園の使用等許可について

お問い合わせ
  • ・尼崎城址公園でイベントなどを開催する場合には、公園の使用許可が必要です。あらかじめ尼崎城管理事務所に電話等でご連絡いただいた上で、手続きをしてください。
  •   尼崎城管理事務所  〒660-0826 尼崎市北城内27  TEL06-6480-5646 FAX06-6480-5746
  •   尼崎市ホームページ http://www.city.amagasaki.hyogo.jp/manabu/kanko/1015568.html

尼崎城天守

尼崎城天守(南面) 尼崎城は、別名琴浦城とも言われ、元和3年(1617)に譜代大名戸田氏鉄の尼崎への所替えに伴い築城されました。 天守は、4層4階の大天守に、西側の2階建て多聞櫓の小天守が付属する複合式天守と呼ばれる形式で、現在の尼崎市立文化財収蔵庫本館の北東隅付近に建っていました。 約12mの天守台石垣の上に約18mの高さでそびえる層塔型の大天守は、2階から4階まで唐破風・千鳥破風の屋根飾りを付けて装飾的な意匠が凝らされ、シンプルながらも堂々として美しい外観をもつ江戸時代の尼崎のシンボルでした。 天守は本来戦争時の見張り台や籠城時の指令所として発展しましたが、軍事的な性格が薄れた江戸時代においては、もともと天守を持たない城や天守喪失後に再建されない城が多くありました。尼崎城の天守も非実用的なものでしたが、外観を意識した装飾的で美しい天守の姿は、権力の象徴であると同時に、江戸時代の泰平の世を象徴するものでした。 しかし、明治6年(1873)の廃城令により取り壊されてしまいました。現在の天守は平成31年(2019)3月に再建されたものです。

尼崎城関係年表

年代 出来事
元和3年(1617) 7月25日 譜代大名戸田氏鉄(うじかね)が近江膳所ヶ崎より尼崎へ5万石の大名として所替えを命じられる
10月14日 戸田氏鉄が尼崎へ入部 幕府から新城を築くよう命じられた
12月 本興寺開山堂・戒壇院などが寺町に移築 この年氏鉄の入部に従い、全昌寺・常楽寺・常隆寺等が膳所から尼崎へ移転
元和4年(1618) 1月〜3月 この頃、尼崎城築城着工か
元和5年(1619) 9月8日 将軍徳川秀忠尼崎城を視察
元和9年(1623) 夏 将軍徳川家光尼崎城を視察か
寛永12年(1635) 7月28日 戸田氏鉄は10万石で大垣へ所替え、青山幸成(よしなり)が掛川から尼崎へ5万石の大名として所替え この年戸田氏所替えに伴い寺町の全昌寺・常楽寺・円通寺・常隆寺・南光院・般若院が大垣へ移転
寛永20年(1643) 6月7日 青山幸利(よしとし)が尼崎藩主になる
寛文2年(1662) 5月1日 西日本一帯大地震 尼崎城天守が傾き、多聞櫓・石垣などが破損
寛文4年(1664) 6月19日 幕府は尼崎城櫓・石垣などの改修を命ずる 南浜と西三の丸の隅櫓5棟を改める この年築地町建設完成
寛文9年(1669) 5月1日 出屋敷地割り始まる(5月中完了)
貞享元年(1684) 9月29日 青山幸督(よしまさ)が尼崎藩主になる
宝永4年(1707) 10月4日 大地震のため尼崎城天守・櫓など破損
宝永7年(1710) 10月16日 青山幸秀(よしひで)が尼崎藩主になる
宝永8年(1711) 2月11日 青山幸秀は飯山へ所替え、松平忠喬(ただたか)が掛川から尼崎へ4万石の大名として所替え
享保元年(1716) 9月18日 尼崎城の堀浚えを幕府に出願
享保16年(1731) 〜 享保19年(1734) 出雲屋八兵衛・水堂屋嘉兵衛・姫路屋新兵衛などが堀浚えの人足を請け負う
寛延4年(1751) 3月20日 松平忠名(ただあきら)が尼崎藩主になる
明和4年(1767) 2月20日 松平忠告(ただつぐ)が尼崎藩主になる
明和5年(1768) 尼崎城下・兵庫津町の町民5,000人が堀浚え人足として従事
明和9年(1772) 本丸に式台・御書院・御帳之間・御居間などあり
安永6年(1777) 8月 石垣孕みのため修築、西三の丸兵庫橋櫓建て直しを出願
安永7年(1778) 12月 石垣孕みのため修築、西三の丸兵庫橋櫓建て直しを出願
文化3年(1806) 2月10日 松平忠宝(ただとみ)が尼崎藩主になる
文化10年(1813) 4月14日 松平忠誨(ただのり)が尼崎藩主になる
文化10年(1813) 7月9日 貴布祢神社で櫓上棟祈祷(同年10月10日にも)
文政8年(1825) 天守修復
文政12年(1829) 10月2日 松平忠栄(ただなが)が尼崎藩主になる
弘化3年(1846) 1月28日 尼崎城本丸御殿出火焼失
弘化4年(1847) 6月13日 尼崎城本丸御殿再建、鎮殿祭
嘉永7年(1854) 11月4日 大地震のため尼崎城御殿・櫓破損
安政2年(1855) 7月4日 地震のため壊れた櫓・渡櫓・多聞・冠木門の修復を幕府に出願
文久元年(1861) 8月6日 松平忠興(ただおき)が尼崎藩主になる
明治6年(1873) 尼崎城の廃城が決まる