「街全体がテーマパークになればいい」三和市場:森谷さん
尼崎に怪獣がいることをご存じだろうか。その名も「ガサキングα」。町の人々には「ガサキング」として親しまれている。そんな「ガサキングα」が生まれた場所、三和市場の森谷さんにお話を伺った。
まずは、森谷さんの三和市場での活動について聞いた。
最初は、阪神淡路大震災後ですね、空き店舗が多くなってきたため、一つのシャッターの店を開けて三和市場を明るく活性化したいと、「虎の穴」を始めました。開けてからいろんなイベントをやって。前の市長に一日店長をしてもらったり、バツイチの人が集まってエックスワン(X1(←バツイチだから))の集いをやったりして、そういう人が集まっていろいろしとったんですけども。
お前もなんかせんかと言われた時、僕は怪獣が好きだから、やったのが怪獣のイベントなんですよ。
―それが、どのくらい前ですか?
大体10年くらい前かな?ごめんなさいね、これすごい適当なんです。先のことばっかり考えているから、何年に何をしたかというのが一切残ってないんです。適当ですよ(笑)
で、怪獣のイベントをしたら、入られへんくらいいっぱい人が来てくれたんで、だから通路に机出して、いすも出して、お絵かきしたり、怪獣の歌を歌ったりして。100人くらい来てくれたんかな。
その時は、怪獣のコンテンツが無くなりそうな時代だったんですよ。でもその時思ったのが、怪獣ファンというのは一定、日本中にいるから、ここがそういう人のよりどころになるんじゃないか。怪獣だけじゃなく、そういうことで人が呼べるんじゃないか。サブカルチャーって言うんかな。王道なやつではなくても、日本中にファンがいるような催しをしてもいいんじゃないか。それで、サブカルチャーで町おこしをしようと思って、一番うけたのがこれだったんです。
イベントで呼んだゲストで、平成ゴジラとかの怪獣のデザインをしている西川伸司先生に、ダメもとで「三和市場の怪獣のデザインをしてくれませんか」と聞いたら、「いいよ」と言ってくれたんです。
それがガサキング誕生のきっかけというわけだ。
三和市場だから、三が中心にあって、角も「ワ」だし、手も3本指です。背中にも角が3本出ています。全部で「3」が13個入っているんです。
最初は西川先生が絵を書いてくれて、関わってくれてる人で名前を考えたりして遊んで。それからまずは、(ガサキングの)絵葉書を作った。一枚200円やったかな。その売り上げで缶バッチ作って、その売り上げでなんか作って…最終的にはフィギュアを作って、6,000円で売ったんかな。
で、そのフィギュアを売ったそのお金で、これを作った。 だから、(ガサキングαは、)自分で自分の食いぶちを探していった怪獣。
これが今のところ僕らにとっては市場のシンボルかなと。
で、僕らのおやじらがこの市場で商売してた時っていうのは、戦後の何もない時で、いろんなところから食材やらを集めて売っていたわけ。でも、今は食べ物とかはもうどこにでもあるから、ここにしかないものを売るようにできないかとふと思って、市場の再生のテーマに「サブカルチャー」をてっぺんに置いた。
―今、三和市場に来る人はどんな人たちですか?
(三和市場は)何も手を入れていないから、こんな感じの外観で、ふと来てくれた子らにとってはただの廃墟にしか見えへんですよね。イベントやってるときは明るい雰囲気やけど、何もやってなかったらただの廃墟や。やから、何かしとかなあかんのです。 何か内側からの光を出すことによってこそ人を呼ぶことができるので、イベントとかを前に出していかなあかん。
―今は、廃墟が好きで写真を撮って回っているような人もいますよね。
そういう人たちも来ますよ!でも、そういう人たちが見るのは廃墟の部分だけですからね。僕らは、廃墟の部分を面白いと思ってくれる人もやけど、その先にある何かを面白いと思ってくれる人を呼びたいんですよ。
たとえば、この建物がきれいになったら、今来てる廃墟ファンの人が来てくれるんか。そういう人らはけーへんでしょ。
僕らが建物を綺麗にしたとしても、アートとかそういうものを表に出していれば、中でやっている催しを目的に来てくれる。
だから、廃墟ブームに乗っかるということはしたくないんです。 ここで創作活動をして、その先にあるものを三和市場で出すとか、何かを生み出すことをしたいんです。あるものだけを消費したいんではないんです。
森谷さんがしきりに仰るのは、三和市場が誰かのよりどころになって、人が集まる場所にしたいということだ。実際に、今ガサキングの活動に関わっているのは、三和市場で出会った人たちだという。
コロナ前は毎週やっていたので、映画の話をして飲みながらさらに深い話をしていると、その人の面白い特技とかが見えてくる。そのうちお客さんで来てくれてた子らが、イベントの時に前に立ってトークをしてくれるようになる。他にも、若い女の子がガサキングのフィギュア作ってくれたり。ガサキングαの中に入っているのも22歳の女の子です。
ガサキングの手作りフィギュアを見せてくれた。
西川先生は、ウルトラマンも、ゴジラも、どっちの怪獣もデザインをしてはるので、ガサキングはどちらの血も引いているんです。デザインも、二等身とかそういう感じにはしたくなかったんですよ。西川先生には、ガチで怖い怪獣にしてと頼んだ。媚びた怪獣にしたくなかった。 日本中のファンが見ても、馬鹿にしないような怪獣にしたかった。
それに、怪獣は物をつぶすやろ、でも、再生っていうのは物をつぶしたところから始まるから。もういっそ三和市場もつぶしてもらったらいいかなって(笑)。ガサキングが再生の象徴になったらいいなって。つぶしたら、もうあとは再生しかないでしょ。
特撮映画では破壊の象徴である怪獣だが、それは、ここ三和市場では「再生」と表裏一体。ウルトラマンとゴジラの血を両方引き、三和市場から生み出された「ガサキング」は、「破壊」と「再生」という正反対の言葉をも象徴する存在になろうとしている。
3月からのあまがさきアート・ストロールでここに設置予定の作品も、そんな三和市場を象徴する作品になりそうだ。
今後も三和市場の価値を高めていけるようなイベントなどを行っていきたいという森谷さん。アート・ストロールについて期待するところを聞いてみた。
アート・ストロール、ああいうのはありがたいんです。それこそ、市場がやりたいこと、やろうとしていることの象徴みたいな。 (アート・ストロールには、)イベントが好きで、楽しんで街を歩いてくれる人が来るんでしょ。そういう人らを僕らは望んでいるわけですから。
(三和市場が)そういう人のよりどころになればいいなと。また来てくれるか、居つくかは分からないけど、人を呼ぶきっかけを作ってくれているイベントだと思っています。
尼崎は今回のアート・ストロールのエリアの阪神尼崎駅周辺だけでなく、見どころがそれぞれある。
これは、僕の子供の頃の原体験になるんですけれども、昔の三和市場は、魚屋さんが目の前で魚を三枚におろしていたり、鰹節が目の前で削られていたりして、市場全体がテーマパークのようでした。通るだけでもわくわくしていた。
でも、今は街に買い物に行ったって、売り場だけが前にあって、ただただ物が並べられてて買うだけ。そんなんつまらんでしょ。街がつまらないから、みんなテーマパークとかの娯楽を求めるんだと思うんです。
だから僕は、街へ出ること自体が娯楽となるように、人をわくわくさせられるような街に尼崎がなればいいなと思うんです。そうすれば、ただの日常もイベントになるでしょ?
このアート・ストロールは、そういう、街全体がテーマパークみたいな考えに近いと思ってるんです。
でもどんなイベントだって、打ち上げ花火みたいに一発でやって終わりだったら、ほんまつまらんですよ。何年後になったとしても、次回同じようなイベントをするときに、今回のイベントが種まきになって、人材を発掘して、「次はここも巻き込んでくれや」みたいな人が増えるように、いろんな場所で花を咲かせられるように、文化の街に塗り変えていくようにしたらええんちゃうんかな。