城下町ブログ

第4回 野球場

 記念すべき南部再生60号は「尼崎セントラルパーク」特集。阪神尼崎駅北側に広がるロータリーは、実は「公園」という位置づけであることをご存知だろうか。駅前に広がるぜいたくな公共空間は、私たちに都市のゆとりを感じさせてくれるはず…。そんな“セントラルパーク”の使われ方や歴史を深堀しながら、阪神尼崎駅前の可能性を探った。詳しくは6月末に発行される南部再生60号をご覧いただきたいのだが、今回はフィールドとなった「中央公園」の歴史をご紹介したい。

 

 

<昭和27〜29年ごろに撮影された植樹作業の写真>

 中央公園の開園は昭和28年5月20日。その年の11月1日付けの「市報あまがさき」には、「阪神尼崎駅北口前にミドリのオアシス 野外音楽堂やステージも」の見出しとともに紹介され、「芝生の大広場を中心に野外音楽堂やステージ、花壇を配しいろいろな催しにこの公園が利用できるようにするほか、周りには楠の木を沢山植えミドリのトンネルをつくり、ブランコ、スベリ台、ジャングル・ジユーム、砂場などお子たちが楽しく遊べる〝遊園地〟もつくろうということになっています」(原文ママ)と、かなり風呂敷を広げて書かれている。

 実際には昭和44年に噴水、昭和58年ごろにステージが作られたのみとなった。ステージは撤去されてしまったが、噴水は完成当時から少し姿を変えて今も残っている。

 

 

<昭和44年夏頃に完成した噴水の写真。完成当時は中央にモニュメントがなかった>

 

 

<この写真は「よく水が上がった方」だそう。写真左にベンチを置いていたが、水が飛び散ったため撤去した>

 噴水の中央に立つ一見エリンギのようにも見えるあのモニュメントは、昭和56年に作られたもの。水と緑と道の3つの「み」を大事にしようというコンセプトの元、香川県の彫刻家・速水史朗氏に依頼して作られた、「水の主」という作品だそう。しぶきを高く上げて、上の石が浮いているように見える設計だったが、実際のところ風に吹かれて水が飛び散ったため、現在のように水の量をかなり少なくしているのだとか。

 

<昭和28年〜32年頃の中央公園で行われた軟式野球場での出初式>

 そんな中央公園だが、もっと歴史を遡ると、完成前は「幻の野球場(ジョー)」があったのだとか。中央公園を設計した元市職員の榎本利明さんによると、昭和23年から中央公園開園までの約5年間、社会人や少年野球のチームが使う野球場があったそう。広さは約8,200㎡と、甲子園球場グラウンド部分の3分の2の大きさで、約80万円の工事費を寄付で募る大規模なものだった。バックネット用の金網は地元企業から譲りうけ、沼地をグラウンドにする作業は有志の市民が行ったという。「市内で唯一の野球場は、終戦後で娯楽が少なかったこともあり、取り合いでよく喧嘩になっていた」と榎本さんは話す。

 そんな66年前にできた中央公園で、本場のセントラルパークさながらワインを飲んだり、仕事をしたり、おつまみをふるまいながら社会実験をしている様子は、6月末に発行される南部再生60号で特集している。市内で見つけたら手に取って、みなさんならセントラルパークで何をしたいか妄想を膨らませながらご覧いただきたい。