城下町ブログ

第4回 尼崎市記念公園発、尼崎ジョー行

尼崎市内に17か所(2019年6月25日現在)あるシェアサイクル「HELLO CYCLING」の各ステーションから尼崎のランドマーク・尼崎城を目指して、尼崎の魅力とシェアサイクルの活用法を探るという本企画。今回は、「尼崎市記念公園」からのスタートです。あ、17か所には尼崎城も含まれているので、正確には16か所ですね。細かい。

アマガスキー(以下「ア」)「なんで、今さら企画内容を書いてるんですか?」
チャリ奉行(以下「チ」)「はい。前回の塚口行きの記事を読み直してみて、いきなり第3回から読み始めた人にはこのブログが何なのかさっぱり分からんという致命的な欠陥に気が付いたのです。」
「なるほど。」
「いちいち説明しなくても分かってもらえるだろうなんて、天狗になってはだめだと心を入れ替えました。」
「殊勝ですね。」
「うちにもステーション設置したいなという尼崎市内の事業者様がいらっしゃいましたら、ご一報を!」
「殊勝と言った途端にPRとは。でも、もっとステーションが増えると便利ですよね」

◆尼崎チャリ奉行とは
尼崎市内でシェアサイクル「HELLO CYCLING」を運営する会社の中の人。アマガスキーさんとは阪神尼崎駅周辺の店で虱潰しにランチをしているのを見つかって以来、15年のお付き合い。

 

#1 尼崎市記念公園南西角にて

「このモニュメント、カッコイイでしょう。『AMAMAMA(アマママ)』っていうんですよ。」
「わあ、これはなかなかですね。重厚長大系の製造業で、関西の、日本の発展を支えた尼崎らしく、鋼管や碍子を組み合わせた姿に惚れ惚れします。」
「尼崎市制70周年の1986年に、鉄の芸術家・榎忠(えのき ちゅう)さんが制作された作品なんです。」
「この、ナナフシのような、使徒のような、それもどこか苦しんでいるような姿から、『アマママ』という名前は全く予想がつきません。」
「このモニュメント、何がスバラシイって、触れるどころか中に入れるんですよ。」
「確かに。口というか鼻というか、先っぽから人が出て来た痕跡がありますね。」
「あ、中で塞がれて、立入禁止になってたかも・・・」
「いや、いけそうですね。傾斜がきつくて、滑りそう・・・なんとか行けるかな」
「最後、滑り台滑ったら、スーツが錆びまみれになりますよ。水たまりもスタンバイしてるし(笑)」
「やっぱりアートというのは、触れられるのが最高ですね。身体を使って感じられるというのがイイです。」
「ところで、シェアサイクルのステーションから始めなくていいんですか?」
「それには大人の事情というものがございまして。このブログ、1枚目の写真が記事のイメージとしてインデックスされてしまうのです。今回はどうしてもアマママを出したかったので、ご理解いただければと。」

#2 シェアサイクル「HELLO CYCLING」尼崎市記念公園ステーションにて

シェアサイクルのステーションは、尼崎市記念公園の南西角にあるアマママとはほぼ対極の、北東側の入口を入ったところにあります。
「いやあ、新緑の季節、風も爽やかで最高ですね。」
「新緑の季節、確かに最高ですが、それを言ってしまうといつ取材に行ったんだってなりません?」
「若葉の鮮やかさは今の時期しか見られませんし、写真もきれいに撮れます。」
「今の時期って・・・。一応この記事は6月25日アップなんで、そこんとこよろしくお願いします。」
「さて、ここで問題です。この『尼崎市記念公園』、いったい何の記念に作られたものでしょうか?」
「わ、そんなマジメな問題出すなんて卑怯や。関西人なら何かボケなあかんけど、思いつかん・・・」
「ぶぶーっ。残念、時間切れです。正解は紀元2600年を記念して、でした。」
「えっ、そんなに歴史があるんですね。」
「ところで、紀元2600年っていつなんでしょう?」
「それを知らずに正解もなにもないでしょう。確か戦中ですよ。(注:紀元2600年は1940年(昭和15年))」
「あと、尼崎市記念公園と言えば、ベイコム体育館前の円形広場に並ぶ柱もいい感じですよ。」
「ちょっと行ってみますか。ほほう、なるほど。古代ギリシャの神殿の柱か何かのようです。」
「何のために作られたのかは、知りません。」
「意味は分かりませんし、違和感もなくはないですが、いい雰囲気なんでよしとしときましょ。」

#3 金楽寺駅跡(天神橋緑地)にて

毎回どのルートをたどるか、基本的にアマガスキーさんにお任せなのですが、今回はどうくるのでしょう。
「Googleマップを見ると、近くに尼崎臨時乗降場跡というのがありますね。」
「確かに乗降場はあったはずですが、その場所に行っても何も残っていないんです。」
「ということで、今回は通称・尼崎港線跡を探索してみましょう。」
「待ってました! 廃線跡めぐり、大好きです。正式には福知山線支線ですね。」
「じゃ、後は案内お願いします。」
「ふふふ。お任せください。そういえば、南部再生vol.55に載ってた西村豪さんの「論:そろそろ廃線跡の話をしよう」は知らないことも書かれていて感動しました。保存版として大事にしています。」
「工場内の専用線まで追いかけていて、執念のような記事でした。」
「とりあえず、かつて築堤上にあった臨時乗降場跡から南へ向かいましょう。途中から道より西側にずれて廃線跡が続いています。まだ空き地になってるところもありますね。」
「『不動産売買・賃貸のことなら』って民間事業者の看板が掛かってますが、もう国鉄清算事業団から払い下げられてるんですかね?」
「お、金楽寺駅跡に着きました。裏に天神橋緑地と書かれた車止め型のモニュメントがあります。」
「このほんの数十メートルだけ、木立の間に線路っぽいタイルも埋められていますね。」
「銘板や記念碑のような文字で事跡を記したものはなさそうですが、なんとかここに鉄道が走っていたことを伝えるものがあってよかったです。あ、もうスペースがない…次に行きましょう。」

#4 海臨寺跡にて

金楽寺駅跡の天神橋緑地から南は、同時期に建てられたとみられる戸建住宅がずらっと一直線ではなく緩やかなカーブを描いて並んでいて、ここが廃線跡であることが分かります。
「この緩やかなカーブを見るだけで萌えます。」
「えっと、家の並びを見て萌えるというのは普通の感覚ではないですね。完全なマニアです。」
JR尼崎駅前から大物駅へと続く道路・大物線と廃線跡がしばらく並走する区間があるのですが、その手前の小さな広場にアマガスキーさんが吸い寄せられていきます。見ると、年配の女性が何人か、せっせと敷地内を掃き清め、ずらりと並んだお地蔵さんに花を供えておられます。
「この場所はなんなんでしょう?」
年配の女性(以下「年」)「今はお堂しかないんですが、昔は海臨寺というお寺があったそうです。」
「で、今は何をしてはるんですか?」
「年「月に1回、こうやってきれいにして、この場所を守ってますねん。ぜひ参っていってね。」
「そういうことでしたらぜひ。」
「今度は地蔵盆のときにおいで。お菓子のおさがりがもらえるよ。」
「こんないい歳しておさがりもらっちゃっていいんでしょうか。」
「ははは。いいねんいいねん。ほんま、またおいでな。」
「昔、この裏を国鉄が通ってたんですよね。」
「そうそう。もう随分経つけどね。」

#5 国鉄尼崎港駅跡にて

海臨寺跡を辞して、一路南へ。国道2号に出たところで、アマガスキーさんからの衝撃の告白が私を待ち受けていました。
「チャリ奉行さん、ワタクシ、ここでお別れしなければなりません。」
「えっ、どうしたんですか。廃線跡巡りが嫌でお腹が痛くなってきたとか?」
「違うんです。自転車がパンクしてしまいました。」
「嗚呼。それは残念。分かりました。あとは一人で頑張ります。ここまでの同行、有難うございました。」
「ちょっと西に行けば自転車屋さんがあるんで、そこに行ってみます。」
「東に行ってもありますね。なんか、尼崎って自転車屋さん多いんですかね。」
前々回は3人で楽しく芝生でランチしたりしてたのが、とうとう単独行になってしまった。でも、ここまでくればゴールの尼崎港駅跡は見えているというとさすがに嘘だが、ほぼ一直線。大物駅の西側で阪神電車をくぐり、尼崎車庫に並ぶ電車をチラ見して、国道43号を越えたら尼崎港駅跡に到着です。
「この高速に対して不自然に斜めに建ってる建物の手前を線路が横切っていたんですね。」
「廃止されたのが1984年。JRは全線完乗しましたが、ここは乗りそびれました。」
「あ、建物の一番うえに、日通のマークが残ってますね。あれもいつまで残っているか分かりません。」
「ところで、城に行かなくていいんですか?」
「誰も見てないし、行ったことにしときましょ。」(第4回完)