城下町ブログ

第6回 登場

吾輩は鯱(しゃち)である。名前はまだ無い。
どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。
織田信長(1534-1582)が安土城に使ったのが初めてといわれるが、鎌倉時代(1185-1333)に描かれたと伝わる絵巻物「男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)」に登場(ジョー)するものが現存最古の史料と言われている。もっとも、当時は噛吻(しふん)と呼ばれていたのだが…ええい、ダメだこりゃ。原文に寄せて書こうと思ったが、出だしの2文しかマネできていないではないか。


<尼崎城シャチホコプラモデルは、全4色展開>

さて、気を取り直して、今回は尼崎城のシャチホコのプラモデルが新たな尼崎城みやげとして登場(ジョー)した話題をお届けする。
製品は、令和元年7月25日に尼崎城とあまがさき観光案内所で販売がスタート。ちょうど402年前に戸田氏鉄が江戸幕府からの命を受けて尼崎に転封(てんぽう)した日である。転封というのは今でいう人事異動の辞令のようなものだ。
シャチホコに話を戻すと、プラモデルは灰色、赤、黄、青の4色展開。部品点数は全9点で、接着剤を使わずに組み立てられることができ、仕上がると高さ5.5センチになる。今のところ最年少の制作者は3歳と言ったら、簡単そうなことは伝わるだろうか。


<プラモ尼崎城のメンバーは、徐々に増えて現在は10名に>

商品を企画したのは「プラモ尼崎城」。じつは筆者(綱本)が言い出しっぺの、尼崎城のプラモデル化を目指す市民団体で、市民、商店主、行政職員などが有志で参加している。
専門業者に城郭プラモデル製造の見積もりを取ったところ、金型の製造に1600万円もの費用がかかると分かり、まずは小さな実績をつくろうと第1弾としてシャチホコのプラモデル化を計画。必要経費をクラウドファンディングで出資を募り、全161件、112万円を調達し、その後約4か月の製造期間を経て完成した。


<設計段階のシャチホコ。部品の分割を色分けで表現している>

このシャチホコの特徴は、全工程を尼崎市内で製造したことにある。工程順に紹介すると、商品の形状を決める3Dデータ制作は潮江にある中野製作所が担当。金型の設計と大まかな切削加工を三反田にある甲斐製作所が、機械の刃が入らない電気による精密加工を同じく三反田の緒方彫刻社が担当して進めた。金型に樹脂を注入する射出成形は、潮江の山八化成工業所。パッケージの封入作業は、若王寺にあるあぜくら作業所が担った。直径3キロ圏内にすべての事業所が収まるという距離感で進められた本企画。
どこにとってもプラモデルの商品開発は初の試みであり、完成した「シャチホコ単品のプラモデル化」というのは前例がないらしい。要は初めてづくしだったのである。


<幾度の調整を経て完成したプラモデルの金型>

発売を2日後に控えた7月23日。尼崎市役所の市政記者室に関係者が集い、記者発表が開かれた。その席上で、緒方彫刻社の代表、緒方隆さんからこんな話が披露された。「最初にシャチホコの金型を作りたいと聞いて、すぐに電話で甲斐さんを呼んで相談したんだよね。巻き込んでしまって悪いなと思ったけど」。電話から数分後に駆け付けた甲斐さんは、「最初は本当にできるか半信半疑でしたが、製造が進むにつれて気持ちが上がってきました」と回想する。お互いが徒歩や自転車ですぐ行き来できる距離にあり、相談しながらものづくりに取り組んでいることが伺えるエピソードである。


<記者発表に集まった関係者。前列右端が緒方氏、後列右から2番目が甲斐氏>

発売から約1か月が経ち、販売員からはまずまずの売れ行きであるとの情(ジョー)報が届いている。さらに10月からは、模型専門の問屋を介して全国の模型店での取り扱いも決まった。地方リーグをすっ飛ばしていきなり全国大会に出てしまうようで、怖くもあるが楽しみでもあるのは、尼崎のものづくりが、こんな形で発信できるという期待感によるところが大きい。
尼崎には、大阪や神戸の大企業のものづくりを支える町工場が集積しており、工業統計をみるとその製造品出荷額は1 兆3,620 億円(平成28年)。神戸、姫路に次ぐ兵庫県内3位のまちである。しかしその特徴は、いわゆる下請け・孫請け業務が中心であり、最終製品は少ないとも言われる。尼崎で生まれ、育てていただいた製品が全国でどう受け止められるか。ぜひ見守っていただきたい。


<全国への出荷に向けて製造が進んでいる>

なお、「南部再生」vol.60掲載の「南部百景」では、シャチホコプラモができるまで(前編)と題して金型製造までの模様を紹介している。併せてご覧いただきたい。
http://www.amaken.jp/60/