城下町ブログ

第2章「お城にエレベーター」

2019年3月29日。尼崎城の一般公開が始まった・・
自分もスタッフとして入城したが、完成したお城の内部を見るのは初めてだった。
そして先ず、確認したのがエレベーター。
「う~む。しっかりとエレベーターがついてるな・・・」
それも三菱でもなく東芝でもなく、フジテック※(1)。
なかなか渋い・・。

そもそも、自分が歴史の仕事を始めたきっかけは、むろん歴史マニアであったことが背景にはあるが、こんな経緯があったからだ・・・

(数年前の京都の壬生寺にて)
台湾から来たという20歳前後の女性が、新選組局長 近藤勇(※2)の胸像前で涙ぐみ、友人に慰められていた。
なにやら話しを聞いてみると、近藤勇があまりにも違うというのだ。
彼女がおもむろに差出したものに目をやると、そこには金髪の三つ編みにフリルのミニスカートをはいた近藤勇のイラストがあった。
「ああ・・またそれか・・」
彼女にとっては三つ編みに金髪の可愛い女子が近藤勇。
目の前の近藤勇はトミーズ雅(※3)さんにも似た近藤勇像・・

「このギャップはなんだ?これからは正しい歴史だけを伝えなければならない・・」
そんな思いが積重なり、歴史を仕事にしてきた。

他の仕事でもお城は昔のままをできるだけ忠実にすべし!と様々な方に伝えている。
自分の歴史に対するスタンスは「史実に忠実であれ」なのである。
家老として尼崎城に入ったものの、現実にある尼崎城のエレベーターには戸惑うばかり。

そして一般公開から数日が経った時、富山県から老夫婦が来城された。
奥様が車椅子に乗っておられ、ご夫婦で話しをされている。
「エレベーターのおかげで天守までこれたね。人生ではじめて。嬉しいわ・・」

ああ、そうか・・そうなのか・・・
今まで木造再建天守をあちこちで語り、木の持つ素晴らしさ、文化を説いてきたが、
こんなシンプルな視点が欠けていたとは・・・情けない・・実に情けない・・・。

そう、エレベーターがあれば、足の悪い方も、車椅子の方もお城に登れるのだ。
木造ばかりではなく、尼崎城は多様性を追求するお城であればいいのだ。
自分の思いばかりではなく、広い視野でものを考えればいいのだ。
そんなことを思い知らされ、何かすがすがしい気分になった。

よし、
これからは、とことん多様性に富んだ企画を考え、尼崎城に来ていただこう。
世界は広い。
世界で一番多様性のある、お城で話題をつくろう。
ならば、すべてにおいて徹底した考え方、すなわち大黒柱が無い城に大黒柱のような太い
考え方(コンセプト)を創り、多方面と共有して「尼崎城はこういうお城なんだ!」と発信できるようにしよう。

そんな強い思いで最近は走り働き※(4)をしている。

しかし・・ひとりでやらせて貰えば簡単ではあるが、協調、協働、いろんな人がお城に関わっており、市民の皆さんの思いもある。

ゴールイメージと現実とのはざまで奮闘し考える日々である。

・・・フジテック製のエレベーター。
フジテック様は少し御縁があり、お話しもできるので、ぜひお城との連動も考えていきたい。
フジテック様が考える未来のエレベーターが付いているお城。
面白いではないか。

近藤勇がミニスカートを履いている。
面白いではないか。
歴史マニアではあるが、新しく柔らかい発想も尼崎城で学ばせて貰っている。

つづく。

次回は第3章「尼崎城とホルモン」

文筆  尼崎城 家老 大西アツヒロ

 

※(1)「フジテック」フジテック株式会社は、日本のエレベータ・エスカレータの大手専業メーカー。本部は彦根市 (引用:Wikipedia)
※(2)「近藤勇」江戸時代末期の武士。新選組局長。後に幕臣に取り立てられ、甲陽鎮撫隊隊長。勇は通称で、諱は昌宜という。慶応4年からは大久保剛を名乗り、後にさらに大久保大和と改めた。家紋は丸の内に三つ引。天然理心流四代目宗家。 (引用:Wikipedia)
※(3)「トミーズ雅」トミーズ雅は、日本の漫才師。吉本興業[大阪本部]所属。1982年9月結成、1983年6月デビュー。 コンビ名はデビュー当時のマネージャーである冨井善則の名前に由来し、冨井自らが命名した。 (引用:Wikipedia)
※(4)「走り働き」汗をかきながら一生懸命働くさま。その姿。