城下町ブログ

第3章「尼崎城とホルモン」

みなさんホルモンって好きですか?
自分は・・あまり好きではありません。

食べず嫌い?
いえいえ、神戸で長く仕事をしていたので、神戸にある美味しいホルモンの店や食べ方などを友人たちと何度も味わってきました。
しかし自分だけは今一つしっくりきません。
やはり肉だけの方がいい派なんです。

尼崎城の周辺には大きな商店街や有名なお肉屋さんがあり、ホルモンののぼりや看板をよく見かけます。

尼崎の人もホルモンが好きな人が多いんですね。
有名な店には行列もできています。
またテレビの取材も多くて人気店や地元に愛される隠れた名店もあるそうです。

ところでホルモンてなんでカタカナなんでしょう?

ホルモンの命名には諸説あるようですが、Wikipediaで調べてみると以下のように書いてありました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ホルモンの語源は、大阪弁の「捨てるものを意味する『放るもん』」説や、医学用語であるドイツ語のHormon(ホルモン)、英語のhormoneは、動物体内の組織や器官の活動を調節する生理的物質の総称から、栄養豊富な内臓を食べると、活力がつくとして名付けられた説など諸説あります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
また、ほかの書物ではホルモンは大阪が発祥で関東や他の地域では「臓もつ」からくる「もつ」が使われるそうです。

なるほど、ホルモンは関西なんですね。
関西人の一人としては、いきなりドイツ語や英語なんてしっくりこないし、やっぱり関西弁の「ほるもんっ!」という語源が関西ノリな感じがして妥当かなという気がします。

それに「ほるもん」をそのままの字にしたらカッコ悪いから「ホルモン」にしたというのがしっくりきますね。

本来は「ほるもん」をホルモンとしてキレイに調理し味付けして美味しく味わう。
その創意工夫が尼崎の名物にもなっている。

そのホルモンですが、自分には身近な存在の「尼崎城」にも似ているなぁと正直思うんです。

一度は壊されたのに、キレイに復活して中もいい感じで味付けされている。

後は、どれだけ市民や多くの人に愛され定着し、尼崎と言えばホルモンと城と言っていただけるようになるか。

「お城の横に巨大なホルモン串のオブジェ置いたらインスタ映えするなぁ・・」とか「城に串を指したイメージもインパクトあるかなぁ」とか尼崎に居るとそんなことを妄想する日々です。

昔、大阪の下町をモデルにした「じゃりン子チエ」という人気アニメがあり、よくホルモンが出てきました。
その頃はまだ自分は芸術大学を目指す高校生で、受験のためにデッサンを習っていたのですが、そのデッサン教室の先生が、よく言ってました。
「デッサンはじゃりん子チエなんだよ」「芸術はホルモンなんだ」「京都市立芸〇大学に入りたいならじゃりン子チエから学ぶんだよ!」(※1)
古い話しですが、いまだにその言葉が耳に残っていて、阪神尼崎駅周辺のホルモンの看板を見るたびに思い出し、いったいあればどういう意味だったのかと・・・。

そんなこんなでつらつら考えているとひらめきました「お!そうだ尼崎城とホルモン・・・〇〇すれば・・・」まだ内容は内緒ですが来年の春にはなにかできそうな気がします。
この企みがどう転ぶのか自分でも楽しみで毎日がホルモンという文字に囲まれることになりそうです・・・でもホルモンは食べないのです。
肉だけ派なので。

つづく。

次回は第4章「悩みはつきない尼崎城」

文筆  尼崎城 家老 大西アツヒロ

(※1)『じゃりン子チエ』
はるき悦巳による日本の漫画作品、およびそれを原作としたアニメなど派生作品の総称。
『漫画アクション』(双葉社)にて1978年10月12日号から1997年8月19日号まで約19年間連載された。全786話。第26回(昭和55年度)小学館漫画賞受賞。単行本の発行部数は3000万部。
1981年4月にアニメ映画化され、その後、1981年10月、1991年10月と二度にわたりテレビアニメ化された。その他、1980 -2010年代にかけて度々、舞台化、ゲーム化されている。
タイトルの「じゃり」とは子供を意味する俗語で、さらに「子」が付くと特に女の子を指す意味となる。大阪市西成区西萩町(作中では「大阪市頓馬区西萩」、現在の花園北2丁目付近)を舞台に、自分でホルモン焼き屋を切り盛りする元気な女の子・チエと、彼女を取り巻く個性豊かな人々の生活を描いている。
物語はチエが小学5年生である一年間を循環する形で、時間は進行しない。このことについては、マサルが「来年は6年生になる」とノイローゼになるが、新学期に「今年も5年生でいいんですか」と狂喜する話がある他、登場人物や壁の貼り紙で言及されている。
-Wikipedia「じゃりン子チエ」より抜粋-
ちなみに1981年の映画版は監督が高畑勲である。変に驚いた。