城下町ブログ

第1章「尼崎にやってきた」

高校まで西宮で育った自分にとって、尼崎は武庫川を挟んで不思議と遠い街だった。
2級水系の武庫川を渡ってしまえば直ぐに尼崎に入るのに遠く感じていたのはなぜだろう。
市外局番が0798ではなく06で大阪のように見えていたからなのか。
とてもやんちゃで元気がある感じがして臆していたのだろうか。

小学生の時にはこんなことがあった。
じゃいけん(※1)で負けた子が尼崎にあった「シュークリームタコ焼き」(※2)を一人で買いにいくという遊びをしていたことがある。
とても巨大なタコ焼きで1個食べれば満腹になるしろものだ。
それを自転車に乗って買いにいかなければならない遊びなのだが、じゃいけんをする時の皆の顔は真剣だった。
「せーの・・じゃいけんホイっ!!」
「うわー周文(※3)が負けよった」
「あと出しすんなよ!」
「周文(しゅうぶん)泣かんとはよ行けや!」
こんな具合で周文は半泣きになりながら甲武橋(※4)を渡って消えていったのである。

小学5年生ともなれば橋を渡ることはたやすい。
しかし、尼崎に行くことは、とても大きな冒険であり、当時は決して楽しい事ではなかったのである。

そして周文は尼崎帰ってきた。
既に泣いている。
鼻水も出ている。
しかし、カッコよかった。
どんどん大きくなる姿はヒーローそのもので、手にしていた「シュークリームタコ焼き」はどれだけぐちゃぐちゃになっていようと、ソースがはねていようと、周文というヒーローから受け取った時から跳び切りおいしかったのである。

運よく自分はいつもじゃいけんに勝っていて、一度も「シュークリームタコ焼き」を買いにいったことはない。
そしてじゃいけんに負けて帰ってくる友だちが、一様に泣くか半泣きになっている姿をみて、いつも思っていた。
「あまがさき・・こわっ・・なんか知らんけど・・」

自分は尼崎に住む事は絶対ないと思っていた。
その自分が尼崎にやってきた。
2019年1月から尼崎市民である。

市民になった理由は「お城」が出現したからだ。
城好きで歴史の仕事もしている自分は、なんとなく思っていた。
「尼崎城って再建できないんかな・・そりゃ無理やろな・・市民も興味ないやろな・・」

しかし!
出現したのである。
奇跡である。

奇跡が起これば、神戸から引っ越しぐらいするし、家老職どうですか?と聞かれれば「ハイハイっ!」と手も上がるのである。
城好きなのだ。

「あまがさき・・こわっ」となんとなく思っていた少年はよわい50歳を越え、尼崎市民になり、今は尼崎の便利さと可能性に魅せられ、尼崎城を大阪城に負けない城にしたいと智恵を絞っている。

尼崎の地名の由来は「海士崎」「海人崎」「海崎」
すべて海と人にちなんでいる。

尼崎城が海を取りもどす時、尼崎の新しい物語がはじまるのだろう。

そのために尽力したいと考える家老である。

けっして「あまがさき・・こわっ」と言わさないのである。

つづく。

次回は第2章「お城にエレベーター」

文筆  尼崎城 家老 大西アツヒロ

※(1)「じゃいけん」自分たちはそう言って物事を決定するツールとして使っていた。
完全なる関西弁であろうと思われるが、じゃんけんでは無く、じゃいけんなのである。
※(2)「シュークリームタコ焼き」は勝手につけた名前で正式名は今もって知らない。
その店が武庫川を挟んだ尼崎のお風呂屋さんの近くにある事は聞いて知っていた。
※(3)その昔「青瞑(ちんみん)」という高級中華料理店ができたとき台湾から総料理長を招いた。
その料理長の息子が周文(しゅうぶん)である。今はアメリカで頑張っていると聞いている。
※(4)西宮の報徳学園から見て南に位置する甲武橋は西宮市と尼崎市を結んでいる。