「落第忍者乱太郎」に登場する約 600 人の個性豊かなキャラクター * が大集合!
原画をずらっと展示します。あなたの” 推し” を探してね。
(* 名前または呼び名があるキャラクター。)
本章では、尼子が尼崎で生まれてから過ごした学生時代を振り返り、そして漫画家としてデビューした作品などを通して「乱太郎」が生まれるまでの作品を紹介する。
幼稚園のころから絵を描くことが好きだった尼子。中学生になって漫画を描くようになった。最初は小さいメモに友達を主人公にした四コマ漫画などを描き、友達と交換したりして遊んだ。尼子にとって漫画を描くことは今も昔も、「面白いことを伝える手段」。中学2年生の頃、「蒙古襲来」で活躍した武将・竹崎季長の虜になった。中公文庫の『日本の歴史』「蒙古襲来」に自作のカバーをつけて、カバンに入れてずっと持ち歩いた。この本は人生の中で数え切れないほど読み返した。
「尼子騒兵衛」というペンネームを使い始めたのは、別冊マーガレット 1979 年9月号に掲載された「田舎押領使一家」でデビューした時。「尼崎生まれの騒々しい子」ということから付けた名だ。社会人として働きながら、雑誌に漫画を投稿していた。恋愛をテーマにした漫画が多い少女漫画誌では、時代もの × ギャグ漫画という異色のデビューだった。
その後、「新築!忍者屋敷」をはじめ、忍者ものの漫画を4作も描いている。「落第忍者乱太郎」の登場人物を思わせるキャラクターが登場したり、名前の由来がダジャレのもの、また「落乱」ではおなじみのギャグがいくつかすでに使われており、いずれも「落乱」の原点と言える作品だろう。
本章では、「落第忍者乱太郎」の原画や、制作にあたり使用した調査資料などを展示しながら、尼子の漫画家としての姿に迫る。
投稿時代に知り合った漫画家の紹介がきっかけで、朝日小学生新聞の紙面で連載を行うことになる。編集者が「忍者ものがいい」と言われ、それなら読者が小学生だから舞台は学校で…と続々アイデアが広がり、「落第忍者乱太郎」が誕生。最初は連載した漫画がコミックになるあてもなかったが、1993 年から 2019 年の間に朝日新聞出版社から 65 巻のコミックが出版されることになるのは周知の通り。海外でも出版された。
ギャグ漫画とはいえ、小学生新聞の読者・子どもたちに、さりげなく当時の風俗や背景を伝えたいと思った。漫画に登場する忍術もすべて実際に名前が残っているもので、尼子が考えたオリジナルの術はない。
室町時代の風俗を調べるために図書館や各地の博物館をまわり、復元されている城や民家の構造もスケッチした。
子ども相手だからこそ手を抜けない。嘘をついてはいけない。事務所の本棚には、歴史書から医学書まで様々な分野の膨大な資料が並ぶ。漫画の背景に描く毒草の種類やキャラクターに巻く包帯の巻き方まで調べ、漫画に取り入れている。ネットで簡単に調べることができるようになった今でも、必ず書籍・文献で “ウラ” をとった情報しか使わない。
乱太郎以外の作品では「はむこ参る!」の連載や古典落語のお噺をまとめた「らくご長屋」を出版。らくご長屋では、絵を描くにあたり江戸時代の風俗についても一から調べた。いずれも作品から「面白いことを伝えたい」という尼子の思いが伝わってくる。
本章では、アニメ「忍たま乱太郎」が放送されるきっかけとなった出来事などに触れながら、尼子の原作者としての仕事を紹介する。「乱太郎」といえば、アニメ「忍たま乱太郎」を思い浮かべる人も多いだろう。尼子騒兵衛の名前が知られ、注目されたのもアニメの放送が開始された影響が大きい。1993 年に NHK でギャグアニメ番組として放送が始まり、NHK の最長寿番組となった。脚本は、尼子の原作の話をもとにしたり、ミックスしてオリジナルのものが書かれたりしている。
アニメの放送が開始されてから、乱太郎の世界はどんどん広がり、グッズの商品化にとどまらず、アニメ版絵本の出版、映画化、実写映画化、気ぐるみのキャラクターショ、そしてミュージカル。2010 年1月に、第1弾が上演され、2020 年で 10 周年を迎えた。10 代後半から 40 代前半の女性が鑑賞者の約 9 割を占める人気の2.5 次元ミュージカルである。ミュージカルの人気上昇とともに、「落第忍者乱太郎」や「忍たま乱太郎」のファン層も幅広くなった。尼子は、原作の世界観を守っていただければ、アニメも実写も大歓迎。
本章では、尼子が乱太郎以外にデザインしてきた様々なキャラクターを紹介。尼崎への愛、キャラクターにこめる思いに迫る。
「落第忍者乱太郎」に登場るキャラクターの名前には、尼崎の地名が多く使われている。「尼崎の地名を名前に付けたらかっこいいのでは」と思ったからで、まちおこしということを意識してのことではなかった。「地名は大切な文化歴史遺産だから大事にしてほしい」という思いもこめられている。
尼子には、キャラクターを単なる観光資源とするのではなく、一緒につくりあげたいという思いがある。尼崎では、商店街にアーケードを飾る「七福神キャラクター」や、尼崎市に本店がある尼崎信用金庫の「あまちゃん・しんちゃん」、NPO 法人あまがさきエコクラブの「エコあまくん」を生み出した。
尼崎以外の地域でも、愛媛県経済連(現:JA愛媛野菜生産者組織協議会)は、アニメ「忍たま乱太郎」の放送が始まる前から乱太郎をキャラクターとして採用し、現在も活躍している。福知山観光協会のキャラクター「光秀くん・ひろこさん」はゆかりの人物・明智光秀をモチーフにつくられた。
尼子が仕事やプライベートで知り合った方との繋がりでキャラクターをデザインすることもあり、尼子が大ファンの稲川淳二さんの商品パッケージに原画を描いたこともある。尼子のキャラクターは輪郭は丸くかわいいフォルムで親しみやすく、多くの人に愛され続けている。
本章では、尼子が「乱太郎」以外に描いた漫画や、漫画家としての仕事以外に行ってきたことを紹介。そして脳伷塞を発症してもなお描き続ける尼子の姿に迫る。
「落第忍者乱太郎」の連載が始まった時、当初原稿料を全て取材につぎ込んでいたという尼子。骨董品を扱うお店で、手裏剣や苦無などの忍者道具を購入したりした。現在、尼子が所有する忍者道具コレクションは、現在 222 点で日本有数の忍者道具コレクションとして知られる。忍者の研究者として、尼子自身が書籍に寄稿文を寄せたこともある。
連載開始から 33 年間、突っ走ってきた尼子だったが、2019 年1月に脳伷塞を発症。利き腕の右腕がまったく動かず、線一本書けなかった。しかし、リハビリでカレンダーの絵を描くことに。次第にもっとうまく描いてやろうと思うようになった。その年の12 月末、33 年間続いた「落第忍者乱太郎」の連載が終了。コミックスも 65 巻で完結することになり、表紙の装丁は定規を使ってなんとか描きあげた。2020 年4月からは月1回の連載を始めている。乱太郎達が古典文学の面白さを文章とイラストで伝える。
「今思えば、いろんな人の無茶ぶりからの再スタート」と尼子。ここまで続けてこられた理由は、「好きだから」。そして「将来に希望があれば苦しいときも頑張れる」ということ。尼子は色紙によく「忍者は毅力」という言葉を書く。「毅力」は中国語で「ガッツ!」という意味で。「毅力!」で希望はまだまだ続く。