3時間でめぐる、尼崎の「源平ゆかりの地」

大河ドラマでも注目されている、源氏と平氏。鎌倉や平泉だけではなく、尼崎にもゆかりの地があることをご存知ですか?阪神電鉄の大物駅から尼崎駅周辺の歴史の足跡をたどってみました。

出発は阪神大物駅から

1 大物主神社

尼崎で源義経ゆかりの地といえば、まずこちらが挙げられるのではないでしょうか。
阪神大物駅から南へ歩いて5分ほどのところにある大物主神社です。

尼崎の海は当時大物浦と呼ばれる入江で、「浦の初島」と謳われるほど風光明媚な場所でした。交通の要所であり、海路においては風が強く難所でもありました。

1159年、安芸守であった平清盛が厳島神社の祭神を勧請合祀し、大物浦の安全を祈念したという伝承があります。

そして「吾妻鏡」や「平家物語」では、1185年に兄頼朝から追われ都落ちした義経が、大物浦から船で西国へと船出した、とされています。近くの七軒長屋に逗留したという口伝があり、境内には石碑が設置されています。

住所:尼崎市大物町2丁目7-6
URL:http://www.ama-jinja.org/08-oomononusi.html

2 大物川緑地

阪神大物駅の東側から続いている大物川緑地。大物は、能楽「船弁慶」ゆかりの地ということもあって、緑地内にある野外能舞台で尼崎薪能が開催されています。(雨天中止)

源頼朝に追われた義経一行。船出すると風が吹き海は荒れ始め、壇ノ浦で滅びた平知盛たち平家一門の怨霊たちが海上に現れて、義経一行を海に沈めようと襲い掛かってくる、という「船弁慶」の名場面。「船弁慶」においては、大物浦から義経が静御前に別れをつげて船出をしたということになっています。

着船橋跡の碑

野外能舞台から緑地の中を南西に進むと、着船橋跡の碑が建っています。大物の地がかつて船の往来するところであったことが感じられますね。

 さらに緑地に沿って進むと大物橋北交差点の脇に大物橋跡の碑があります。
 大物橋は、中世に大物と尼崎を結んでいました。

3 「傳静なごりの橋」碑が建つ辰巳八幡神社

一般的には義経と静御前は吉野で別れたとされていますが、能楽「船弁慶」では義経と静御前は大物浦で別れたというストーリーになっていて、それにちなんで建てられた石碑です。”傳“と付いているのはそのためでしょう。もとは大物橋の近くにありましたが、現在はこちらに移されています。

4 大覚寺

寺町にも、源平ゆかりの寺院があります。
 大覚寺は中世には大物にあり、琵琶法師たちの有力拠点寺院であったと言われています。弁財天は大覚寺市庭の鎮守神であり、琵琶法師の守護神でもありました。大覚寺には弁天堂が残っています。

住所:尼崎市寺町9番地
URL:https://amagasaki-daikakuji.com/

5 たこ焼き岡でひと休み

寺町めぐりの途中で見かける「たこ焼き」と書かれた赤い暖簾は気になる人も多いはず。ちょっとひと休みに立ち寄りました。

昔ながらのちょっと小さめサイズですが、14個で200円というびっくり価格。最近は、物価高騰の波に押されてイカバージョンで提供しているとかいないとか?!何はともあれ、店主ご夫妻との会話を楽しみに通う常連さんも多い、寺町の名物店です。

住所:尼崎市東桜木町16

6 専念寺

寺町でひときわ目を引く赤い山門。
専念寺は1177年に平清盛の長男である平重盛によって神崎川の河口の東長洲に建立されました。
しかし、わずか2年後に重盛が亡くなります。直後に朝廷から重盛の菩提寺とされ、生前に内大臣まで務めたその功績によって、朝廷より堂舎への丹塗り(朱塗り)が許されました。
この地に移転したのは1617年のことです。

住所:尼崎市寺町12番地
URL:http://hccweb1.bai.ne.jp/akamon-sennenji/

終わりに

能楽や歌舞伎の題材として人気を集め、今なおドラマなどでも取り上げられる源氏と平氏の物語。名場面やドラマの1シーンを思い浮かべながら、尼崎での街歩きはいかがですか?

■参考
Web版 図説 尼崎の歴史
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/02chuusei/chuusei1-0.html

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