尼崎藩城下町と近代建築をめぐる【ウォーキングコース】

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尼崎藩、初代藩主戸田氏鉄(うじかね)が、近江国膳所から尼崎に入封したのは元和3(1617)年のこと。神崎川から、西は須磨にいたる西摂海岸部5万石の領地を与えられ、四層の天守を構える尼崎城を築城し、「大坂城の西の要」として重要な役割を果たしました。

明治6(1873)年に廃城が決まった後、城の建物は取り壊されましたが、その後も尼崎の政治・経済の中心地として、官公庁や学校が集中して建設されました。

今回は、城下町尼崎の面影と、それを引き継ぐ近代建築を巡るウォーキングコースをご案内します。

[モデルコース]
開明庁舎→契沖の碑→櫻井神社→尼崎城→阪神電鉄旧尼崎発電所→青山幸利顕彰碑→旧尼崎警察署→歴史博物館→大物橋跡の碑→大物主神社→大物川緑地公園

(距離)約1.5㎞ 

(施設内部を見学しない場合の所要時間)約1時間

1 開明庁舎(旧開明尋常小学校)からスタート!

昭和12(1937)年竣工のモダニズム建築の建物で、小学校として使われていました。
国登録有形文化財に登録されています。校庭の塀には、太平洋戦争末期、米軍兵による機銃掃射の攻撃の跡と思われる跡が残っています。

2 契沖の碑

尼崎藩士の子として尼崎に生まれた国学者・契沖を顕彰する生誕地の碑が、市立中央図書館の南に設置されています。

3 櫻井神社

尼崎藩主櫻井松平家をお祀りする神社です。境内には尼崎城天守の棟板瓦や、藩主忠告の句を刻んだ石碑が残ります。石碑は、尼崎城の堀にかかっていた橋の石柱を転用したものです。

4 尼崎城

平成31(2019)年に再建された尼崎城。当時、四層の天守を持つ城の威容は、天気の良い日には遠く宝塚からも眺めることができたと言われ、幕府の力を誇示するランドマーク的存在でした。

5 阪神電鉄旧尼崎発電所

明治38(1905)年の阪神電鉄開業前に建設されました。英国人技師が設計し、煉瓦も英国からの輸入品と伝えられています。電車運行の動力源であると同時に、周辺町村にも電灯用の電力を供給しました。

6 青山幸利(よしとし)顕彰碑

楠木正成を顕彰した尼崎藩主・青山幸利の功績を讃えます。

7 旧尼崎警察署

大正15(1926)年竣工。置塩章(おきしお あきら)設計。セセッション様式またはアール・デコ様式と評されています。市内に現存する最古の公共建築です。

8 歴史博物館

昭和13(1938)年竣工のモダニズム建築。戦後は、市立尼崎高校、城内中学校(のちの成良中)を経て、現在は歴史博物館として利用されています。(令和2(2020)年10月オープン)飾り窓やひさしのガラスブロックなど細部に近代建築の趣を残しています。そして、歴史博物館があるのは、なんと尼崎城の本丸跡に当たる場所。建物の北東あたりに4層の天守がありました。

9 大物橋跡の碑

神崎の渡しから長洲、大物と南にくだる中国街道は、大物川(だいもつがわ)にかかるこの橋を渡って、城下東町(現在の東本町)に入っていました。

10 大物主(おおものぬし)神社

大物町(だいもつちょう)・大物村(だいもつむら)の氏神。若宮とも呼ばれ、境内には義経・弁慶の隠れ家跡の碑や生揚(きあげ)醤油の碑などがあります。

兄・源頼朝と不和となった義経は、再起を期して大物から船出し、難船したと伝えられています。これを題材にした能楽として名高いのが「船弁慶」です。

11 大物川緑地公園

昭和40年代、地盤沈下の影響で自然流下しなくなり、汚染が拡大した大物川を埋め立てて造成された約6㎞に及ぶ緑地帯です、能舞台も設けられ、毎年5月には薪能も催されるなど、市民の憩いの場となっています。

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