尼崎ジョー 徹底解剖

400年前に築城されたかつての尼崎城と新しい尼崎城をご紹介!これを読めば、あなたも尼ジョーマニアになっちゃうかも。

尼崎城はなぜつくられたの?

大坂夏の陣で豊臣家を滅ぼした徳川氏は、元和五年(1619)大坂を幕府の直轄地とした。大坂と大坂城はこれより西日本の政治的・軍事的拠点となる。一方、中国・四国・九州など西国の地域は、関ヶ原合戦まで敵対していた外様大名たちの領国があり、西国有事の際に、大坂を守る体制を作り上げる必要があった。
大坂に近く、古くから交通の要衝であった尼崎を、幕府にとっての「身内」で固めたいと考えるのは当然のことだろう。そこで白羽の矢が立ったのが、初代尼崎城主となる戸田氏鉄である。大坂の西の守りとして尼崎城を作り上げた。尼崎城のすばらしい出来映えから、氏鉄は城づくりの名手としての評価を得たと思われ、その後大坂城修築工事では普請総奉行として指揮を執っている。

五万石の大名としては大きすぎる!

四層の天守閣を持ち、三の丸まであった立派な城は甲子園球場の約3.5倍の規模。8〜9階建てのマンションに相当する高さで、天気が良い日は宝塚からも見えたそう。実は兵庫県下で天守閣がある城は姫路城と尼崎城の2つだけ。天守台はつくられても、その上の建物までつくることを幕府は許可していなかった。海際にそびえたつ天守の威容は、さぞかし訪れる人々の目を驚かせただろう。

尼崎城下町はリッチだった!?

東西両側に広がる城下町は、現在の阪神出屋敷駅東側から大物駅西側にかけての広大なものだった。また、尼崎藩成立当初は、現在の尼崎市域から神戸市須磨区のあたりまでの海岸沿いがほぼ尼崎藩領だった。酒蔵も多く、酒造の町として知られる摂津池田郷とほぼ同じ規模で、一万石以上のお酒がつくられていた。城下の築地町には漁師が住み、大正時代までは中在家町に魚市場も存在。尼崎藩領域は、菜種や綿など商品作物の産地でもあった。藩領のうち、兵庫~西宮を上知されるまでは、裕福な藩であった。

わがまち展望ゾーン

天守では尼崎の町を解説。
タブレット端末を操作して尼崎城下町の姿も知ることができる。
展望室に広がる現在の風景と見比べてみては?

ギャラリーゾーン

尼崎が生んだ城郭画家、荻原一青氏の作品を展示したギャラリー。
百名城手ぬぐいを中心に城郭への思いがあふれる。

なりきり体験ゾーン

記念撮影はぜひここで。
畳の空間で貸出衣装を身につけて尼崎城主やお姫様、武士になりきろう!

尼崎城ゾーン

VRで再現された尼崎城下町を幅10mの大画面で楽しめる。
まるで当時の尼崎にタイムスリップしたような映像は圧巻。また、火縄銃の重さ体験や剣術体験ゲームなど、体験しながら学べる展示も盛りだくさん。

尼崎まちあるきゾーン

入口付近には多くの方々の想いのつまった一口城主芳名板を設置。
魅力紹介映像では尼崎城を中心に歴史や観光をナビゲート。
さあ、尼崎のまちあるきへ出かけよう!

尼崎城

住所:尼崎市北城内27

入城料:一般・学生 500円、生徒・児童 250円

開館時間:9:00〜17:00 (受付時間 〜16:30まで)

定休日:月(祝日の場合は翌日)・12月29日〜1月2日

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