地元で愛されていた「尼いも」
「尼崎」と「農業」って、意外な組み合わせだと思われるかもしれません。しかし、今は多くの工場が所在する尼崎の南部臨海地域が、一面の尼いも畑だった時代がありました!
尼崎の特産品であった尼いもは、他地域のさつまいもに先駆けて夏に市場に出回るさつまいもとして珍重されていました。
大阪や京都の高級料亭などに出荷されたほか、地元の人びとにとっては、地蔵盆(主に近畿地方で行われる年中行事。地蔵菩薩をお祀りし、子供の無病息災を願う。)のお供えには欠かせないものだったそうです。
私も子供のころ、実家の仏壇にお供えした物をお下がりで貰えるのが楽しみでしたが、出荷できない細い尼いもは、むかしの尼崎のこどもたちにとっては貴重なおやつだったそうで、とても甘くておいしかったとのことです。
しかし、尼崎の人びとに親しまれ、尼崎を代表する農産物として大切に育てられていた尼いもに悲劇が訪れます。
台風で消えた「尼いも」
1934年(昭和9年)、尼崎を含む阪神地区を「室戸台風」が襲いました。
この台風の高潮により、尼崎の南部に広がっていた尼いも畑は壊滅的な被害を受け、多くの尼いも畑は工場用地へと姿を変えてしまいました。
さらに1950年(昭和25年)にはジェーン台風により再び尼崎は高潮被害を受け、尼いもは完全に尼崎から姿を消してしまったのでした……
尼いもを復活させよう!→なんと茨城県で再会!
それから約半世紀後、尼いもを復活させたいとの声が、尼崎公害訴訟の原告団の方々からあがりました。
原告団の方々は、公害を克服したまち尼崎、公害のないまち尼崎のシンボルとして、こどものころに食べていた尼いもを復活させたいと考えたのでした。
2000年(平成12年)、尼いも復活に向けた取り組みがスタート。
最初に取り組んだのは尼いもがどのような品種のさつまいもだったのかを突き止めることでした。
戦前の尼いも農家の方に聞き取り調査を行い、戦前の文献を調べていくと、「四十日」や「尼ケ崎」といった品種が尼いもとして栽培されてきたことがわかってきました。
そこで、「四十日」や「尼ケ崎」といった品種のさつまいもを現在でも栽培しているところを探した結果、茨城県つくば市所在の国の農業技術センターでこれらを栽培していることを発見し、センターから苗を分けてもらい試験栽培が始まりました。
翌2001年(平成13年)には尼いもの復活・普及に取り組む市民グループ「尼いもクラブ」が結成され、以後、20年にわたり尼いもの栽培と普及活動を行っています。
半世紀以上も経ってから復活させることができたなんて、奇跡的なことに思えます!
復活した尼いもを全国へ
その後、尼崎市農政課が中心となり、農協や市内の農家の協力を得て、尼いもの栽培が大規模に開始されましたが、現在、私たちが食べている鳴門金時やシルクスイートのような甘さや食感は、復活した尼いもにはありません……。
そこで、尼いもは主に焼酎の原料として活用していくことになり、2008年(平成20年)、尼いも焼酎「尼の雫」が初めて出荷されました。
また、2011年(平成23年)には尼崎商工会議所が尼いもを使った商品開発に着手し、翌年から尼いものツルの部分を佃煮にした、「尼いものつるの炊いたん」(ノーマル・かつおまぶし・ピリ辛・山椒の4種類があります。)の販売を開始!
2019年(令和元年)からは尼いもの甘露煮とツルの佃煮が具材の「尼いもごはんの素」の販売も開始しました。
あまがさき観光案内所でも販売中です!
あまがさき観光案内所
https://kansai-tourism-amagasaki.jp/information-center/
尼崎市立歴史博物館にて、企画展「尼いも復活物語」を開催中
「尼いも復活物語」では、さらに詳しく尼崎名産のさつまいも「尼いも」の歴史や復活の道のりを紹介しています。
イベント 「尼いも復活物語」
https://kansai-tourism-amagasaki.jp/event/3876/
入館料無料ですので、ぜひ見学してみてくださいね。
尼崎市立歴史博物館
開館時間:午前9時から午後5時まで(月曜休館)
TEL:06-6489-9801
アクセス:「阪神尼崎駅」南口から南東へ徒歩10分
参考
「尼いものすべて 尼いもとは?」
http://www.amaken.jp/amaimo/whats.htm
尼崎市立歴史博物館 編集協力